三日坊主で終わるかもしれない日記(ぉ
駄目社壊人である管理人が趣味を語ったり自虐ネタに走ったりする日記(マテ
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特撮とアニメとゲームと漫画と散財をこよなく愛する人の徒然日記。
時折愚痴とか独り言が混じる。たまに訳わからない主観が入った感想を書いたりもする。
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ご報告
2014年07月27日(日)
少々長文になるので、ボタンクリックで記事を開いて読んでください。
先日の7月24日。
自分の年齢とHPの運営履歴とTwitter歴とが、また一つ増えました。
そして、その四日前にあたる7月20日の18時10分。
父が他界しました。
2010年から下咽頭癌を発症、一時期は快方に向かったもののその後肝臓への転移が発覚。
本人たっての希望もあり自宅での療養を続けておりましたが、治療の甲斐なく母と姉に看取られ静かにこの世を去りました。
享年71でした。
自分のところへ危篤の連絡が入ったのは、亡くなる直前の17時頃。
訪問看護士の方から「最期に息子さんの声だけでも」とお心遣いを頂き、
「
お父さん、○○(本名)だよ。起きてます?
」
と電話越しに声を掛けたのが最後の会話となってしまい、死に目を看取ることはできませんでした。
ただその時傍に居た母から聞いたところによると「
それまで苦しそうにしていた父の表情がぱあっ、とほころんだ
」そうです。
15分前にはお見舞いに来ていた親族もほぼ帰っていたというし、皆に声を掛けてもらってほっとしたのかな。
先週のうちに、葬儀は滞りなく済ませてまいりました。
しかし(友引明けということもあって)告別式の日程が自分の誕生日と重なると聞いた時は、不謹慎ながら笑いそうになりましたわ。
今年の誕生日は一生忘れられないw
「
上を見て生き、下を見て暮らせ
」
上記は、父がエンディングノートに書き記していた自身の好きな言葉です。
調べたところ「上を見て生きる」とは志高く、「下を見て暮らす」とは目の前の為事を大切にすべし、との意味があるそうで。
野球に釣りに筋トレにと、とにかく身体を動かすことが好きだった父。
癌であることが発覚しても、何一つ怖気ついた様子を周囲に見せる事が無く気丈に振舞った父。
建設会社の労務安全部長や労働監督署の相談員・町内会長を歴任し、いつも自分よりも周りの人の為に動いていた父。
そして家族の前では常に笑顔で優しく、輪の中心に居た父。(頑固者で振り回されることはあったけどw)
自分達は沢山のものを、父に貰ってきました。
それはその人柄を慕って葬儀に参列した人が延べ200人を超えたことからも窺えます。
自分は父のようにはなれないことは重々承知しておりますが、生前故人が
「
アイツはあれでいい。真面目だし責任感はあるし、何より一人で生活できてるから
」
とよく話していた、と母から聞かされた時には涙が出そうになったなぁ。
お父さん、僕の身勝手を許してくれてありがとうね。
今まで本当にお疲れ様。
苦しかったことを忘れて、今は向こうでゆっくり休んでください。
貴方の好きだった言葉を胸に、僕はこれからを生きていきます。
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雑記
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